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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.12.02

一日一語 52  ~僧堂攝心編~

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<黄葉と紅葉>

 「古人刻苦光明 必ずや盛大なり」

この言葉は、白隠禅師が1日に何度も自ら唱え修行に励んだ言葉です。

人間は刻苦する、苦しむ、辛い思いをする、その分だけ、光輝くものが

得られるわけです。

 どれだけ、この臘八大攝心において、苦労をしたか、辛い思いに耐えてきたか

ということが我々、禅の坊さんとしての値打ちとなる。

毎年、この臘八にあたって申し上げていることですが、私たちがいつも学んでいる

(読書会をしている)森信三先生は、次のことをおっしゃられています。

「人間の本当の値打ち、真価をはかる目安は二つあります。

第一は、その人の全知全能・自分のあらゆる気力能力を一瞬、かつ一点に

どれほど集中することができるかであります。

 もう一点は、睡眠を切り詰めても精神の力によってどこまでそれを

乗り切ることができるかです。」

 この言葉を見るたびに、まさしく我々の修行もその通りであると思うのです。

いろいろなことを考えたり思ったりする全知全能を気海丹田、おへその下の一点に

集中する。臘八のように一週間、横になることができなくても、気力によって

精神力によって乗り越えていくことができる。

 森信三先生は、また、つぎのようなことも仰せになっています。

「坐禅を組んでいる間は、どんな坊さんもたいした違いはない。本当の値打ちは

坐禅を止めた時(坐禅以外の時)に表れる。坐禅の時間が終わったら「やれやれ」と

言ってあくびをして、用は済んだと思ってしまうのか、それとも、坐禅の時間が

終了しても、なお、一層、心を引き締めて(正念を)持続していくかです。

 人間の違いは、その坐禅を終えた時に分かれ目が出てくる。」

 さすがに森先生で私たちに坐禅についても本質をついている。同じ日程で

同じ修行をして、どうしてこんなに(個々に)差が出てくるのか。

 坐禅をしているときだけでなく、経行(きんひん・・・禅堂の周りを歩く)、

抽解(ちゅうかい・・・坐禅と坐禅の合間の休憩)や東司(トイレ休憩)など

坐禅以外の時に、そこにどれだけ緊張感を持っていられるか、これがまた、

大事となります。

{平成27年12月1日 臘八大攝心初日 『隠山禅師亀鑑提唱』より}

一日一語 52  ~僧堂攝心編~

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