一日一語 ⑫ ~攝心提唱編~
私たちの本心・本性は、何の姿・形もありません。言葉では全く表すことが
できません。そして、それを体得することはたいへん難しいことです。
本心・本性は、いつ生じたということもなく、いつ消えたということもなく、
この空気(虚空)のようにずっと、ありて、あり続けています。
例えば、皆さんにこの本心・本性を理解してもらいたいと思う時、
空気のようものだと説明しても、皆さんは、なかなか理解ができないでしょう。
そこで、それは朝の光のように、光り輝くものである、無量の光ということで
無量光如来、阿弥陀如来として仏の姿・形で表そうとしました。
本心・本性は空気のようにいつも私たちを包んでくれ、酸素を供給してくれ
生かしてくれている、有り難い働きが、あたかも観音様のようであるから、
観音様の姿・形でそれを表しています。お優しい姿は、いつどこにても
私たちを救ってくれる心の働きを表しています。
本心・本性そのものを見ることは難しくても、せめて一歩でも近づくように
一歩でも感じ取れるように阿弥陀如来や観音様の姿・形で表しているのです。
みんなあるのは、本心・本性一つです。仏心・仏性一つなのです。
{平成27年10月23日 入制大攝心2日目 南嶺老師 臨済録提唱より}