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臨済宗大本山 円覚寺

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2015.10.23

一日一語 ⑫ ~攝心提唱編~

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 私たちの本心・本性は、何の姿・形もありません。言葉では全く表すことが

できません。そして、それを体得することはたいへん難しいことです。

 本心・本性は、いつ生じたということもなく、いつ消えたということもなく、

この空気(虚空)のようにずっと、ありて、あり続けています。

 例えば、皆さんにこの本心・本性を理解してもらいたいと思う時、

空気のようものだと説明しても、皆さんは、なかなか理解ができないでしょう。

 そこで、それは朝の光のように、光り輝くものである、無量の光ということで

無量光如来、阿弥陀如来として仏の姿・形で表そうとしました。

 本心・本性は空気のようにいつも私たちを包んでくれ、酸素を供給してくれ

生かしてくれている、有り難い働きが、あたかも観音様のようであるから、

観音様の姿・形でそれを表しています。お優しい姿は、いつどこにても

私たちを救ってくれる心の働きを表しています。

 本心・本性そのものを見ることは難しくても、せめて一歩でも近づくように

一歩でも感じ取れるように阿弥陀如来や観音様の姿・形で表しているのです。

 みんなあるのは、本心・本性一つです。仏心・仏性一つなのです。

{平成27年10月23日 入制大攝心2日目 南嶺老師 臨済録提唱より}

一日一語 ⑫ ~攝心提唱編~

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