仏様のような顔になりなさい。
<酔芙蓉(スイフヨウ) 大方丈裏庭にて>
横田南嶺老師が、先月の日曜説教会(8月23日)で提唱されたことをまとめて
みました。(昨日のブログの続きです。)
生まれた時というのは、みんな仏様のような顔だったのにいつの間にやら
今のような眉間にしわを寄せて難しい顔になってしまったのか。
延命十句観音和讃の中の「むさぼりいかりおろかにも ほとけのこころ見失い
さまようこぞあわれなる」の状態になってはいないでしょうか。
鏡で自分の顔をご覧になる時に、お化粧やひげのことばかりではなく、
そこに親のいのちが伝わっている、親の面影がある、さらには、もともとは
仏様のいのち、仏様の顔であったと感じてみてはいかがでしょうか?
穏やかな顔、明るい顔、素直な心になれば、みんな、きっと、誰一人、
例外なく仏様のお顔になるはずです。
お隣の建長寺さんに開山・蘭渓道隆禅師の鏡が伝わっています。この鏡を
見ると観音様の姿が映るという鏡です。これは、各々、一人一人が観音様の
いのち、観音様の心をいただいている、観音様のお姿が、本来の私たちの姿
であるということを表しています。
松原泰道先生がお亡くなりになる前に、私に最後に言われた言葉があり、
今でも忘れられない言葉があります。車いすの先生が私の手をとって
言われたことは「明るい顔になりましたね。」でした。
それは、「明るい顔、穏やかな顔、仏様のような顔になって生きよ!」という
先生の最後の教えであると受け止めています。
明るい顔、穏やかな顔になるには、いかに深く感謝することができるか、
ここにかっかっているのではないかと思います。親、ご先祖様、仏様の
いのちをいただいているということに対する感謝の深さです。
こういう話は、何回聞いたとか、何年通ったとかいうことが重要なのでは
なく、どれだけ深く感謝をすることができるかにかかっています。
それがお互いの顔に表れてくるのではないでしょうか。鏡を見るたびに
思い出して欲しいことであります。