むさぼりの衣、いかりの衣
<今、境内では酔芙蓉が見頃です。護国塔にて>
横田南嶺老師が先日の淡青坐禅会(9月2日)で提唱したことをまとめてみました。
明治期の円覚寺の禅僧、釈宗演老師は、次のようなことを仰せになっています。
「人間は、みんな、一人一人、生まれながらに、その本体は、観音様である。
中身はみな誰一人例外なく観音様であるけれど、貪りという上着、瞋りという
上着、愚かさという上着を着てしまっている。そして、その上着を脱ごうとしない。
その上着を全部脱いでしまえば、一人一人が観音様であるはずなのに。」
今、世の中で様々な事件が起こり、「随分、ひどいことをする奴もいるものだ、
そんな奴には仏心なんてあるわけがない」と思われることが多々あります。
それでも、本体は観音様である、仏心であるというのが仏教の教えです。
貪欲、むさぼりの心を基として、少しでも自分のむさぼりの心を妨げられたり
邪魔をされると、相手に瞋り、憎しみの心となり、本当は、中身は仏心である
はずなのに余計な上着を着こんでしまう。
悟りだ、菩提だ、涅槃というのも余計な上着です。様々な縁によっていろいろな
衣を着こんでいる私たちですが、全部、脱ぎ捨ててしまえば、自分が観音様であった
と気が付くはずです。