愛媛・坂村真民先生巡礼の旅①
<愛媛・松山 大乗寺・地蔵堂にて>
横田南嶺老師は、先日の26、27日に、布教師会に所属する若手和尚さん5人とともに
愛媛県松山に坂村真民先生巡礼の旅をされました。この旅は、南嶺老師に次の願いによって
実現しました。それは、若い布教師の和尚さんらとともに、真民先生が実際に生活されていた
松山・砥部町や真民先生ゆかりの地を訪ねて、そこで、真民先生の教えを学び、造詣を深めて、
その学んだことを今度は、布教師の和尚さんがより多くの人に広めて、真民先生の詩が
まるでタンポポの種が広範囲に広がって、さらに多くの人に真民詩を知ってもらいたいという
願いが込められています。
南嶺老師御一行は、昨日、紹介したように、まずは、松山護国神社(失明宣告を受けて、絶望の中、
母が唱えていた「念ずれば花ひらく」を思い出した場所)を訪ね、次に宇和島城、そして
大乗寺・地蔵堂にて坐禅をされました。
<宇和島城の竹やぶ>
これが真民先生とアメリカ人青年とのエピソードで出てくる宇和島城の竹です。そのエピソードは以下。
{真民先生には「涼しい風」に関してこういう逸話があります。真民先生は40代の頃、
四国・宇和島の大乗寺に毎朝、坐禅に通われていた。たまたま、そこにアメリカの青年が来た。
真民先生は「どうしてこんな四国の片田舎にアメリカの青年が禅をやるためにやって来たのか」
と不思議に思っていた。
ある時に地元の宇和島城を案内していたら、城に上る途中にあった竹林のとこで
その青年が立ち止まってじっと竹を見ている。そして真民先生の方に振り返って
何を言い出すのかと思ったら「これがわかるか?」と言った。
するとその竹林から涼しい風が吹いてきた。そして、その青年は「この風が禅だ」と
言いいました。真民先生はびっくりしてこんな青年はもう日本をさがしてもどこにも
いないだろう、アメリカの青年だからわかるまいと決めつけてはいけないと反省
させられたそうです。}
2日目になり、御一行は、真民先生が敬慕して止まなかった一遍上人がお生まれになった
地に立つ宝厳寺を訪問。宝厳寺は一昨年に火災にて本堂などを消失してしまいましたが、
写真のチャリティーグッツ起き上がりこぼし「もういっぺん」の売り上げ(半分が募金に・
現在も販売継続中)やご寄付が予定額の8割集まったので、再建も始まりました。
<再建が始まった宝厳寺>