6月28日は円覚寺を再興した大用国師のご命日です。
ー江戸時代後期、円覚寺を再興した大用国師誠拙禅師の頂相ー
半制大攝心 最終日
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
これは逸話であり、言い伝えでありますから、どこまで本当かはわかりませんが、
大用国師誠拙禅師(江戸時代後期の禅僧)は、26、7歳の時に白羽の矢が立って
円覚寺へ招かれて行く。その若さの誠拙に当時、どてらを着て博打をするものも
いるほど荒廃していた円覚寺を再興しろと言われてやってきたのだ。
誠拙はそのあまりにひどい様子に落胆して師匠である月船和尚のところに
帰ってしまう。帰ってきた誠拙を見て、師匠は一言「お前さんを見損なった」と。
その一言で誠拙はお師匠さんの意図がわかった。
師匠は、どういうわけで自分をあんなに荒廃した円覚寺に送りだしたのか?
誠拙にしてみれば、あんなひどいお寺を再興することは不可能だと思い
師匠の月船和尚にしてみれば、そんなひどいところだからこそ、あなた
誠拙にしかできないと送り出したのにそれをおめおめと逃げ帰ってきて、
見損なったと思ったのだ。
誠拙は師匠のその気持ちを察して、踵を返して円覚寺に戻り再興に
心血を注ぐ。それから10年の歳月が経ち僧堂(修行道場)の基盤が
作られ、修行道場がはれて開かれたのが、誠拙36歳の時でした。