今、女(なんじ)は画(かぎ)れり
ー山門2階から仏殿をのぞむー
半制大攝心 2日目
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
自分にとって不遇であり不快な状況こそ今まで培ってきた修行の力を試す好機となります。
嫌だ嫌だといってこの状況から逃げようとすればするほど苦痛は多くなるもの。
こういう時こそ「よし!もうこうなったら」と肚をそえてこの逆境の中にドン坐ることが肝心です。
釈宗演老師も言われたごとく「この三千世界を伽藍となして大きく坐れ!」の気構えです。
小さな単布団の上にチョコンと坐るのではなく、この天地・大宇宙をひっくるめて
一枚の単布団として坐れです。その上で自分がこの天地の主人公となったつもりで
微動だにしない。こういう覚悟でドン坐るのです。
我々がいつも素読をしている『論語』(雍也第六)に
「冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説(よろこ)ばざるに非ず、力足らざればなり。
子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今、女(なんじ)は画(かぎ)れり」
とあります。
孔子は、自信をなくしている弟子に対して
「それは、あなたの力が足りないからではない。今までこうして修行をしてきたことは
あなたが十分に力がある証拠ではないか。ただ、あなたが自分で自分の能力に見切りを
つけてしまって、自分はダメであると思い込んでいるに過ぎない。」と励ましています。
「今、女(なんじ)は画(かぎ)れり」あなたの心の可能性は、無限大なのに自分で限りを
してしまっている。そこに気づきなさいと。
私たちの心の可能性は無限大であります。志を奮い起こして坐禅に参じてもらいたいと
思います。