賓主互換 相手の立場になって
今朝から円覚寺僧堂では、月並大攝心(1週間の集中坐禅期間)が始まりました。
僧堂師家である横田南嶺老師が今日、提唱されたことをまとめてみました。
カウンセリングというと患者さんのお話を聴いてなんとかその方の
心を癒す、治療する、もとに戻すというイメージがありますが
しかし、究極のところは、カウンセラーが逆に患者さんからカウンセリングされる、
癒されることだと最近、知りました。
カウンセラーが患者をカウンセリングしてやろうでは、まだまだで、
立場が逆転して、その患者さんにこちらがカウンセリングされて
そうして一つになっていく。
これを聴いて、 臨済録に出てくる「大悲千手眼のはたらき」そのものだと
思いました。その話は以下です。
{ある日、師(臨済禅師)は河北府へ行った。そこで知事の王常侍が説法を請うた。
師が演壇に登ると、麻谷が進み出て問うた、「千手千眼の観音菩薩の眼は一体どれが本物ですか。」
師はこの問いを受けて、「千手千眼の観音菩薩の眼は一体どれが本物ですか、さあ言ってみよ。」
すると麻谷は師をひいて演題から下し、麻谷が代わって坐った。師は麻谷の前に進み、
「ご機嫌よろしゅうございますか。」麻谷はそこで擬議した。
師は麻谷をひいて座を下し、自分が代わって坐った。すると麻谷は何も言わずにすうっと
出て行ってしまった。そこで師も座を下りた。}
坊さんの立場で考えるなら、私たちは修行をして檀信徒を教化すると
思っているが、しかしそれだけではうまくいかない。もちろん、教化に
骨折ることも大切ですが、時にはこちらがお檀家さんの立場になり
檀信徒に教化されることも大事であります。これもこの大悲千手眼のはたらきです。
そうかといって、簡単に相手の立場に立てばいいのかというとそうでもない。
へたをするとことらがやけど、けがをしてしまうから気をつけないといけない。
お釈迦様が山上の説法で仰せになったように、「世間は燃えている、五欲で燃えている」
です。世間も人は貪欲、いかり、愚痴の火によって燃えている、もだえ苦しんでいる。
ですからこちらがはっきりとそこから解脱し遁れ出て、無位の真人を明らかにした上で
なければ、ただ単に相手のところに下りて同調していっしょになって燃えて終わってしまい
かなません。
「大悲千手眼のはたらき」では臨済禅師はいったん座を下りるがまた、もとの座に戻ります。
これが賓主互換のはたらきの奥深いところです。