真の御利益(ごりやく)とは
円覚寺派管長・横田南嶺老師が日曜説教会(平成26年7月12日)で提唱されたことを
まとめてみました。
昭和29年9月26日、青函連絡船 洞爺丸が台風の為に沈没し死者・行方不明1155人という
海難事故がありました。松原泰道先生はこの洞爺丸に乗る予定で切符まで購入していました。
松原先生は北海道を講演旅行をし終えて摩周湖あたりを観光して、函館にて洞爺丸に
乗って本土に帰る予定でした。
ところが、先生が函館につくと修業時代の先輩が突然やってきて「今、台風が近づいているから
早く帰れ」となかば、強引に洞爺丸より一便早い船に乗せられたそうです。
そして、明くる朝東京に着いてみて洞爺丸が沈没したことをお知りになりました。
この大惨事の事故の後、新聞記者の方が松原先生を取材されました。記者は
いろいろなことを先生に訊いた後、先生にこう言いました。
「やはり、先生さすがですね。信心深い人はこういう御利益があるのですね。」
それに対して先生は言われました。
「私が死んで他の人が助かったのならば、それは御利益というけれど、私が助かって
大勢の人が亡くなったことを御利益とは言わない。」
この話は、松原先生から直接聞いた話です。私は非常に感銘を受けて
決して忘れることのできない言葉の一つです。
その洞爺丸には、たまたま、3人のキリスト教の宣教師も乗っていて、3人、力をあわせ、
悲鳴の渦のなかで逃げまどう乗客に救命具を配り、着用に手間取る子どもや女性を必至に助けました。
ある宣教師は、救命具のない学生を見つけ、「あなたの前途は長いから」といって救命具をゆずり、
また、別の宣教師は、子どもづれの母親に自分の救命具を与え、最後まで励まし続けたと伝えられています。
そして、2人の宣教師は亡くなってしまいました。事故後、しばらく経って宣教師のご子息の方は
「父は泳ぐことができなかった」と告白されました。松原先生は、こういうことを本当に御利益ある
というのだと語っていらっしゃいました。
こういう話を聞くと素晴らしいと思いますが、それでは、実際、私たちが宣教師さんのように
そこまでできるかというと、それはたいへん難しいものです。しかし、こうして仏の教えを
学ばさせていただく身として、少なくとも、自分だけが良い目に遭うことは決してしないと
胸に納めていきたいおきたいものです。
いのちをいただいたこと、今日まで生かされてきたこと、このたまわったいのちも
授かったいのちも、みんないろいろな人のおかげである。そう感謝する人間になることが
一番大きな御利益ではないでしょうか。
亡くなった宣教師さんのようにいかなくても、多くの人多くのもののおかげでこうして
生かされていると感謝し、自分の出来る範囲で何か誰かに少しでもお役に立てることの
できる人間になる。それこそが神仏を拝み、仏を学び坐禅をする真の御利益なのでは
ないでしょうか。