これ以上の奇跡はない
円覚寺派管長・横田南嶺老師が日曜説教会(平成26年6月8日)で提唱されたことを
まとめてみました。
先日、新聞に「持っている」という題の詩が掲載されていました。
{なぜ、持っていないものばかりを数えるのだろう
なぜ持っているものは数えないのだろう
たぶん それは持っている幸福は当たり前だと思っているから
違うのに
持っている幸せは奇跡なのに}
人は自分に足りないものばかりを追い求め、逆にすでに自分に備わっているものは
当たり前と思い目を向けようとしませせん。
腰骨を立てて静かに呼吸をして気がつく第一のものは、この「持っているものの幸せ」です。
これに気がつくといくことは、具体的には、感謝の心となって起きてくる。
持っているものを当たり前、人から何かをもらうのが当たり前と思っている人からは、
感謝の心は起きてきません。
私たちが持っているもの、もらったもので一番何が有り難いかというと、それは
親からこの世にいのちをたまわったことです。これ以上の奇跡、幸せはありません。
どうか無事、健やかにと、両親が祈り願って生まれてきたこのお互いのこのいのち
です。
森信三先生の言葉があります。「どんな苦しい人生であってもこのいのちを
このいのちをたまわったということ、この世にいのちを与えられたということほど
大きな恩恵は、この地上にはない。この点をはっきり知らすことが真の宗教という
ものである。」
宗教というと何か特別なことを信じるとか、特別な儀式ををしなければならないように
思われがちです。しかし、それらはあくまで枝葉末節であって、お互いがこの世に
いのちをたまわったこと、これ以上の奇跡がないということを説いていくのが
真の宗教であるということを、森先生は慧眼を持って指摘くださっています。
このいのちは、誰も作ることができないし、いつ生まれたのかもわからない。
両親を通じていのちをたまわり、その両親も親を通じて・・・と引き継いできました。
それをたどっていくとはかり知ることができないと気づくはずです。
私たちはそのはかり知ることの出来ないいのちをこうしていただいて生きているのです。
こうして話を聞くことができることは、どんなに不思議で奇跡であることか。
こう気がつくことができたなら、それは自分だけではない、隣に坐っている人も
かけがえのないいのちをいただいて生きていると実感出来るはずです。
人間だけではない、草木からネコや犬など動物にいたるまであらゆる
生きとし生けるものが、尊いいのちをいただいているとわかってきます。
このはかり知れないいのちのことを、私たちは、神様や仏様、阿弥陀様などと
呼んでいるのです。このいのちが私たちの体の上に働いているから、こうして
生きているのです。
そう気づくと周りの人に対して、人だけではなく、草木や動物までいのちあるものは
大事にしていこうという本来備わっている心の働きが必ず涌いてきます。その働きが
慈悲心なのです。
外のもの、自分にないものばかりを求めがちでありますが、そうではなく、
心の向きを変えて自分を見つめる、今、自分に備わっているものに目を向ける。
今、自分はこんなにも素晴らしいいのちをいただいている、なんと幸せなんだという
根本に立ち返るのです。
おなかの底からふつふつと湧いてくるいのちの喜びに目覚めて1日1日、お互いの
いのちを大切に、ましてや、傷つけることなく損なうことなく暮らしていく。
お互い、一人では弱い存在です。だからこそ、お互いに助け合い、声を掛け合い
生きていきましょうというのがお釈迦様の教えであります。