海を見よ
-早暁の海-
円覚寺派管長・横田南嶺老師が日曜説教会(平成26年10月11日)で提唱された
ことをまとめてみました。
詩人・坂村真民さんに「海を見よ」(坂村真民全詩集第5巻p178)という詩があります。
{しんみんよ
海を見よ
お前の好きな
海を見よ
そしたら一切受容ということが
よくわかるだろう
・・・
仏陀の慈悲がわからないなら
海を見よ
海がそれを知らせてくれるだろう}
この詩は、私たちの仏心がどういうものかをよく表しています。
私たちは、普段、目先の小さなこと細かなことばかりを見ていて、なかなか
仏様の広い大きな心にふれることがありません。
では、広大な仏様の心にふれるには、具体的にはどうしたらよいのか?
真民先生は、あの広大な海を見なさいと説いてくださっています。
私たち、お互いの本心も、一切受容、すべてを受け入れる広い海と同じように
広く大きなものなのです。
あらゆるお経はみな私たちの心のことを説いています。お互いの本心とは
どういうものかを説いたのが、あの膨大な経典とそいて様々な仏像です。
本当は観音様のようなやさしい心が私たちの本心なのだ人々に気づかせるために
お経や仏像にして表しているのです。
例えば、般若心経ですが、奈良の薬師寺・高田好胤師が短い言葉で要約され
お説きになりました。
「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、ひろく、ひろく、
もっとひろく、これが般若心経 空の心なり」
そういう広い心がお互いの本心なのです。
最近、パキスタン出身のマララさんが17歳という若さでノーベル平和賞を受賞しました。
マララさんの「私は自分を銃で撃ったタリバンの人たちも憎みはしない。」という言葉を聞くと
やはり、人間には本来持って生まれた広くて大きな心があるのだと改めて思いました。
誰もがみな、仏心を持って生まれて来ているのです。
坂村真民さんの「華厳経訳 念ずれば花ひらく経」(p25)に
{衆生よ
もろもろのみ仏や
もろもろの菩薩たちは
いつもお前たちと共にいられることを
つねに忘れないでくれ・・・}
とあります。
皆さんは、決して悲嘆をしたり絶望をしたりしないでください。仏様はいつも
私たちの側にいて、「私たち衆生が狭い心を持っていないか、心が閉ざされていないか」
心配し見守ってくれているのです。
私たちは海のように広い心を持って生きなければなりません。それがこうして生まれて来て
生きていくことの大きな意味です。
そうして人間は、亡くなる最期の瞬間までこの心を成長されることが出来るのです。
「あの人は本当に仏様、観音様のような心を持った方でした」と周りから言われ慕われる
ような生き方をしていく。1日1日を命ある限り、そう努めていく。仏様の心へと
一歩一歩近づいていくことに大きな意味があるのではないでしょうか。
坂村真民さんに「こちらから」(坂村真民全詩集第3巻p154)という詩があります。
{こちらからあたまをさげる
こちらからあいさつをする
こちらから手を合わせる
こちらから詫びる
こちらから声をかける
すべてこちらからすれば
争いもなくなごやかにゆく
・・・
仏さまへも
こちらから近づいてゆこう
どんなにか喜ばれることだろう}
仏様へこちらから近づいてゆくことが大事なのです。
その方法が坐禅であり、あるいは延命十句観音経を写経したりすることです。
また、お寺にお参りして仏様にほんの一時手を合わせるのでも良い。
そういうことをしながら、こちらから仏様に近づいて、仏様の広い心慈悲の心を
学ばせていただくのです。
そうして、私もあなたもみんな仏様と同じ広大な心を持っていると気がつかせて
いただくこと、これが私たちが生きる一番の意味なのではないでしょうか。