光と闇
臘八大攝心 5日目
横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
この臘八大攝心で提唱しているのは、円覚寺開山・仏光国師・無学祖元禅師の御修行時分の
話です。この時代の禪僧の中でもご自分の修行時代の体験をこれほどつぶさに記しているのは
他に例のみない程で外の世界からも注目をされています。
仏光録(無学祖元禅師の語録)を拝読するとどこでどういう人に会い、そこでどういうふうに
修行をしてどのような体験をしたのかがつぶさに書かれています。それは私たち、今日修行するもの
にとっても、今読んでも全く色褪せるものではございません。
物の世界、科学の世界の実験か何かであるなら、何百年前の資料といのは今日においては
ほとんど役に立たないでしょう。しかし、私たちの世界においては、この宗教体験というもの、
修行の上における実体験というものは、700年前の仏光録を今読んでも、全く色褪せることが
ない。これは宗教、心の世界の素晴らしいところです。
仏光国師はたいへんな苦労をして宗教体験をされました。光と闇と申します。
光というものは闇がなければ、光はありません。悟りというのも迷いがなければ、悟りもない。
悩み苦しみがなければ悟りという喜びもないのです。何の問題意識もない、何の悩みもない
ところに、どこかから悟りがふってくるという道理はないのです。
必ず陰と陽の法則です。悩みが深いほど大きなものが得られるのです。仏光国師は17~22歳の、
普通の人なら青春を謳歌しているとき、人間のもっとも活力のあふれる時期を一歩も僧堂の門の外に
出ずにただ、ひたすら無字の修行をだけに取り組まれました。
深く悩み苦しむ中で、1年が過ぎ2年が過ぎ3,4年と経ちました。この絶望のどん底に落ちた
体験があったからこそ宗教体験をされたときの喜びは一入(ひとしお)ならぬものでありました。
修行というものは骨折りして苦しむことであります。そして骨折りして苦しみ悩んだ分だけ必ず
得ることがある、これが道理です。何かを失うこと、苦労をすること、骨を折ること、これを
惜しんではいけません。
(後記)
さて、今週末(12月6,7日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。
12月6日(土)は、
●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 場所:居士林
最初に坐り方の説明をしますので、初めて坐禅を経験したい方にお勧めです。
●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林
20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。
●12月7日(日) 8:00~9:30 日曜坐禅会(今回は坐禅のみとなります。)
於 円覚寺・大方丈
となっております。
また、12月6日(土) 13:15~16:00 禅をならう会 於 円覚寺・大方丈
も開催されます。「禅をならう会」(会費:500円 途中退出はできません。)は臨済会が主催の坐禅会です。
詳しいタイムスケジュールは、
1 受け付け( ~1:15)
2 初心者指導(12:45~13:10) 参加希望者は定刻までに集合
3 開会挨拶(13:15~1:20)
4 成道会(13:20~ )
5 横田南嶺老師による提唱(13:30~ )
6 講了 ( ~14:15)
7 小憩 ( ~14:40)
8 坐禅・経行・質疑応答 (14:40~ )
9 茶礼 (15:45~16:00)
10 閉会 片付け、清掃後解散
以上です。参加希望の方は当日、大方丈玄関までお越しください。
紅葉は、今週末が最期の見頃となるでしょう。皆様のご来山をお待ちしております。