かすかな息の出入り
月並大攝心 中日
横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
呼吸を練るといいます。それには腰をしっかり立てておなかの下、気海丹田に力を込める。
漫然と呼吸をしていたのではだめ。気海丹田に気を込めて細く長く息を吐いていく。もう
自分の外の景色もない、我もない、何もなく、ただ、呼吸をする。
鼻から極めて静かに呼吸をする。肚のどん底から、まるで線香の煙のように息を吐く。
細い息がかすかにもれるくらいの息の出入りで、もう、自分で呼吸をしていることも
意識に上ってくることはない。かすかな息の出入りがあるだけである。そういう中で
兀兀と坐り抜く。
最後は息の出入りばかりとなり、全身の毛穴からまるで霧が蒸すかのごとく息が
出入りする。
吐けば天 吸えば大地と 一如なり
かくて その身は 天地一枚
ずっと細く吐く息は天に満ち渡り、大地の底から吸い上げて、吐く息吸う息を繰り返す。
身も形も呼吸も忘れて、ただ、この生きているものだけをはっきりさせる。
「生きているものを確かにつかみおり」です。この身、このまま生き通しのいのちです。
この生き通しのいのちを全身で感じ取ってください。
我もなく 人もなければ 大虚空
ただ 一枚の 姿なりけり