罪の意識
円覚寺境内の紅葉も段々と色づいて参りました。
皆様、是非、週末はご来山されご覧になってください。
月並大攝心 2日目
横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
鎌倉武士が禅を求めた理由の一つには、武士というのは常に戦闘、戦乱の中
生きていて、兄弟や親であろうと時には斬り合わなければならないこともある
という非常に厳しい状況の中にありました。幼子であろうと女であろうと
斬らなければ、こちらが生きていけない。
そんな世界に生きていく武士が救いを求めたのが禅でありました。相手が苦しみ
もだえながら死んでいくのをありありと見ている。それこそ、夜の夢に出てきて
罪の意識に苛まれる。この心の救いを求めたのが武士達が禅を求めた大きな要因で
あったのです。
仏教には様々な教えがあります。自分の息子と同じ年くらいの若武者を殺した
熊谷直実公は、「この罪の念からどう救われるか?」を求めて法然上人の門に入り
念仏をすることで救いを得て安心しました。
それでも納得がいかない人は坐禅をして自分の心を見つめる。本心本性を見つめました。
お互いの意識・分別のおおもと、源となるもは何であるか?と探究しました。
朝比奈宗源老師は「仏心には罪もけがれも届かない。仏心は常に浄らかで常に安らかである。
これが私たちの心のおおもとである。」と仰せになっています。
仏心の浄らかなことに気づく。自分のこの世でやった罪やけがれは、心のおおもと
仏心には、全く届きやしない。様々な罪やけがれと思っていたものは幻、夢、虚空の
如しであります。
たとえば切った張ったの任侠映画で血しぶきの場面があろうと映画が終われば
スクリーンには血一滴ついていないようなものです。ただ、その映像だけを見て
それが真実であると思いこんでいたのであれば「えらいことをしてしまった、
たいへんなことをしてしまった」と罪の意識にとらわれ続けるでしょう。
しかし、諸法はみな空(くう)です。夢、幻のようなもの。夢、幻だと
気がつけば、私たちの本心本性は何の罪、けがれの跡形も残っていないのです。
日々、戦乱の中で生きる武士にとって大きな安心のよりどころは「その罪の
意識からどう逃れるか?」を解決することでした。坐禅をして悟ったら罪の意識から
解放されることができるというのは当時の武士にとって大きな魅力であったでしょう。
諸法はみな空です。水中の月のごとしです。月が沈めば、水面には何のあとも
残りません。実体のないものであると気がつくことです。
(後記)
今週末(11月22,23日)の 円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。
11月22日(土)は、
●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 場所:居士林
最初に坐り方の説明をしますので、初めて坐禅を経験したい方にお勧めです。
●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林
20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。
11月23日(日)は
●9:00~11:00 日曜説教坐禅会 (場所:大方丈)
詳細は
●9:00~10:00 円覚寺派布教師和尚様による法話
●10:00~11:00 坐禅
となっております。
初心者の方も歓迎です。皆様のご来山をお待ちしております。