考えることをやめてみる
-黄梅院 観音堂-
入制大攝心6日目
横田南嶺老師が今日の僧堂大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
あれこれと考える、妄想をすることから離れる、やめてみることはたいへん難しいことです。
比叡山の行者も本に書いています。一日、三千もの仏様の名前を唱えながら礼拝をする。
それも何ヶ月も寝ずにやる。なぜ、わざわざそんなことをやるのかというと、疲れ果てて
考える能力を働かせなくするためです。そうでもなければ、考える能力が完全に止まることは
ない。そして思考力が止まれば、少しずつ、我(が)が崩れて、やがて、真っ白になり
無我の境地になる。そこに仏様があらわれるとその本には書かれています。
坐禅もそうであります。あれこれと考え妄想をしているのではなく、一回、考える能力が
ぴったりと止むまで坐ってみる。本当に我というものが尽き果てるまでやってみることです。
我を離れて仏心と一枚になっていく。我が計らいを離れて真理と一つになる。この我を離れる
ということが一番苦労をするところでもあります。