何度も立ち上がる
-選仏場-
横田南嶺老師が今日の僧堂大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
月刊『致知』の今月号に、茶碗を作る人間国宝の方の話が掲載されていました。
茶碗を作る修行というのは1日、100も200もこさえます。
そういう中からこれはというものをお師匠のところに持っていきみてもらう。
ところが褒めてもらおうと持って行くとお師匠に一見して目の前で床に
たたきつけて割られてしまう。自分では最高の出来だと思っていても
目の前でたたき割られてしまう。
しかし、その方は、割られてもすぐに破片を拾い集め、自分の部屋に戻り、
自分が作ったもののどこが悪いのかを反省したとのことです。
そしてとうとう師匠から「この茶碗は良くできている」と生涯一度も褒められること
がなかった。しかし、あることだけ、褒められたことがあった。それは繰り返し何度と
自分の作った茶碗がたたき割られようとめげない態度でした。
お師匠の一言は「お前は職人として見どころがある。」でした。自分が丹誠に心を込めて
作った茶碗を褒めるどころか、尽くたたき割られても、腐らずに、すぐにかけらを拾い集め
一生懸命観察をし努力をしたその態度に見どころがあるということでした。
自分が褒められようとして持って行ったものをたたき割られた時、目の前でこわされたとき
どう生きるかが、人間の真価であります。そこでやっていられるかと腐ってしまったら終わりです。
どんな目に遭おうがまた作って持っていく。何度でもめげずにこしらえて持っていく。
それが職人としてもっとも大事なことだとお師匠はお弟子に伝えたかったのでしょう。
気仙沼の和尚さんは一生懸命、一代をかけてお寺の本堂を建てましたが、茶碗が割れるがごとく
津波で一瞬にしてこわされてしまいました。それでも、めげずにくじけずに腐らずに立ち上がり
ました。
どんな目に遭おうが立ち上がろうとするのが私たち誰もが持っている仏心のはたらきです。
くじけない、その心さえあれば。決してどんな時代、どういう状況でもやっていけます。
私たちはくじけない心という素晴らしいものを持っています。それを「やっていられるか!」と
見限ってしまったらそれでおしまいです。いくたびたたかれようが、何度、否定されようが
その度ごとに立ち上がる。これも仏心の大きな力、はたらきであります。