真智を開く
今日の僧堂入制大攝心(第3日目)で、横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。
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今日、人間の進歩は大したものです。
かつては食べ物もろくにない時代が長い間続きました。しかし、我々のような僧堂に暮らすものでも今日食べ物に困ることはなくなりました。
皆が平等に学校に行くことができたらどんなに幸せであろうかと考えて明治時代以来大変な努力をして学校を作りました。
しかし、その学校ではイジメや不登校や引き籠りが何万という単位で生じています。
空襲のない時代になれば皆が幸せになると考えて戦争を終わらせ、空襲を受ける心配や不安に生きる必要はなくなりました。
しかし、今や自死する(自ら命を絶つ)人の数は年間1万や2万という数ではありません。
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いつになったら人間は本当に幸せに平和に慈悲の心で暮らすことができるのでしょうか?
どんなに便利に豊かになっても、お互いの心というものが変わらなければ、本当の幸せや平和は訪れないのではないでしょうか。
お互いの心を変える。
それはあたかも、乾いた田んぼを耕す努力をしていくようなものです。
心という荒田に智慧という水を注いで耕すようなものです。
それが、私たちお坊さんに課せられた勤めです。
そのためにはまず、真智(真実の智慧)を開かねばなりません。
真実の智慧は外に向かって求めるものではありません。
坐り続ける。
今坐っているところ、そこに全てが備わっている。全てが満たされています。
まずは、そのことに気付く。