思慮、分別を絶したところ
入制大攝心2日目
横田南嶺老師が今日の僧堂大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
私たちはいろんなことを思い、考えるますが、それらをすべて絶したところに
真理、つまり、本当の心のはたらきというものがあらわれます。その為に一生懸命
腰骨を立て、おなかに力を入れ、気海丹田に気を充たさしめ、思い、考えを断ち切ります。
そこであらわれてくる誠の心のはたらき、つまり、真理、それが仏心であり公案(禅の問題)の
答えであります。
一度、徹底して坐禅をして思慮、分別を断って深い三昧に入って「ああ、なるほど、これで
間違いがない」という体験をしなければ、いくら長時間坐ろうが無駄骨となってしまいます。
思慮、分別を絶したところを体験して初めて仏心にふれることができる。あれこれと思い
計っていたのでは泥水になお泥を加え汚してしまうようなものです。
お互いの本心というものがどういうものかただひたすらもとめていく。それには
思慮、分別を絶していく。ただ、それだけでよい。心に浮かんでくる妄想、考え、思いを
一振りの刀で斬るように尽く斬って斬って斬り尽くしていく。そうするとそこに何が
あらわれてくるかです。それは本心、仏心であります。