雪安居 開講
円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日、雪安居の開講でした。雪安居というのは
雨安居(4月~7月)に対しての雪安居(10月~1月)の意味で、安居期間中は
毎月、大攝心(1週間の集中坐禅期間)があり、大攝心中は毎日、横田南嶺老師による
提唱が行われます。(一般非公開)
今日は、その雪安居の初日、提唱の初回ということで「開講」です。
この秋に新たに加わった2名を含む25名の雲水(禅の修行僧)さんと山内、宗局の
和尚様方、居士さんらが出席され、開講の儀式が行われました。
さて、南嶺老師が今日の僧堂大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
われわれ禅宗の僧は、坐禅修行という本分というものを忘れてしまっては
お寺の存続は危ないと思います。円覚寺は700年以上の法統がありますが
これは様々な困難を乗り越えて今に到ります。
一番大きな法難は北条氏、鎌倉幕府の滅亡です。その時、ここぞとばかりに
後醍醐天皇をはじめ京都の公家らは鎌倉の寺を焼くべし、禅宗を滅ぼすべしと
意見しました。それに対して後醍醐天皇らを諫めたのが円覚寺15世の夢窓国師です。
後醍醐天皇に直接、禅宗の尊さを説きお諫めいたしたのでした。
ところが後醍醐天皇は夢窓国師の言葉を信用できずにいたので、夢窓国師がいた
南禅寺に夜、のぞきに行かれました。後醍醐天皇の目に映ったものは、坊さんが
微動だにせずに坐禅をしている様子であり、深く感動して帰って行きました。
その翌日も南禅寺をのぞきに行くと、今度は坊さんみんなが持鉢を持って
一列に歩いている様子が見えました。後醍醐天皇はこれでさらに禅宗の尊いことに
感銘を受け禅宗を滅ぼすのをやめたと夢窓国師語録には書かれています。
本分をつとめて守っておれば残るということです。
ところが時代は変遷して江戸時代後期になると円覚寺もその本分がおろそかに
なってしまうという状況に陥りました。本分の坐禅修行がおろそかになれば
内部崩壊していきます。それを立ち直らせることは極めて困難なことでありますが
それを再興したのが円覚寺189世 大用国師誠拙禅師です。この円覚寺で禅宗の
本分である、僧堂での坐禅修行の体制をととのえたのを皮切りに八王子・広園寺や
京都・天竜寺、相国寺の僧堂を再興し、南禅寺で提唱をなさっています。さらに
生まれ故郷の四国・宇和島のお寺まで出向き碧巌録や臨済録の提唱をされました。
白隠禅師一人が注目をされていますが、誠拙禅師も、今日の僧堂修行の体制を
作るのに大きな貢献をされた方であります。
本分を忘れてしまってはお寺の存続は危うい。しかし、逆に本分さえしっかり
していれば何かを少々のことがあろうが揺るぎはしないのであります。
雪安居開講にあたって南嶺老師が偈(宗旨を漢詩であらわしたもの)をお唱えになりました。