ありのままの心
横田南嶺管長が今日の夏期講座で提唱されたことをまとめてみました。
よく世間では平常心というと何ものにも動じない、感じない心といわれていますが
それもいかがなものでしょうか。たとえば、被災地の悲惨な現場に立てば、平常心で
いられる道理はないですし、親しい人のお弔いに涙は禁じ得ません。
平常心になれば悲しみ苦しみがなくなるというのでは決してありません。私たちが
生きている限りは様々な悲しみ、苦しみ、悩みは尽きることはない。
最近、ありのままという言葉が流行っていますが、ありのままの心とはいったい
どんなことを言うのでしょうか?きをつけなくてはいけないことは、ありのままの
心とは決してわがままな心をいうのではないということです。
本当のありのままの心とは私たち、お互いの本心のことを言います。では、私たちの
本心とは何か?それは慈悲の心です。観音様のような心のことです。お母さんはみんな
観音様の心なのです。お母さんは赤ん坊の泣き声を聞いただけで、赤ん坊が何を求めて
いるのかわかる。その声を観る。全身で観て受け止めることができます。
人の苦しみを聞いてあげる。人の悩み苦しみを全身で感じ取る心、これはお互い
苦悩を体験しているからこそ気がつくことができる。そういうことを全く感じないのは
決して仏心ではありません。
常に観音様を念じるということは、常に私たちの本来の心を念じるということです。
それがありのままの心なのです。
常に観音様の心を心がけて、それから離れないということこそ、まことの平常心であり
それで初めてありのままの心であるのです。ありのままの心は決してわがままな心と
決して同じではないのです。
(後記)
第79回円覚寺夏期講座も明日が最終日となります。
明日の予定は
8:30~9:30 横田南嶺管長 「無門関提唱」
9:45~10:55 鍵山秀三郎先生 「凡事徹底」
11:10~12:20 金澤泰子先生 「ダウン症の娘(こ)と共に生きて」
どなたでも、聴講することができいます。当日券(1500円)もございます。
皆様、お誘い合わせの上、ご来山くださいますように。