対機説法その2
イエール大学坐禅会の質疑応答の続きです。
学生:お寺の日本国民にとっての役割とは何ですか?
老師:生産活動など面からみたら、役に立っていないが、その役に立っていない
ところに一般の人は安らぎを感じるのではないか。私たち、お坊さんは
何かを生産しようとしてあくせく働いているわけではない。そういう人が社会に
いるということが安らぎになる。
学生:近代化の中でどのように伝統を保つのか?
老師:薪でご飯を作り、風呂をわかすなど、近代化を避けて部分も残しますが
現実には電話なども使わないと生活できない。しかし、変わらない世界を
持っていれば変わる世界に対応することはできる。
学生:最近、何かに挑戦をされましたか?
老師:インターフェイスマラソンという駅伝に走者として参加をしました。42.195キロを
10キロずつ異なる宗教者がタスキを伝えるマラソンです。キリスト教、仏教
神道、イスラム教の走者が一つのタスキを伝えました。そのプレス発表の席で
記者から「本当に異なる宗教者が一つになれるのか?」と質問を受けました。
だから、私は答えたんです。「走る姿にキリスト教もイスラム教もありますか?」
みんな同じような姿をして息を切らしながら一生懸命走る。我々仏教だからといって
袈裟に衣で走る訳にもいかないし、かっこつけていられない。走る姿を見れば
一つになるのはわかる。」と。
学生:外の世界の誘惑はどう対処していますか?
老師:衣を着てこういう一般の人とは違った格好をしているので自然と抑制がきく。
この衣姿で牛丼屋で牛丼を食べることはできませんね。修行の最初の頃は
多少は様々な葛藤がありますが、良い書物を読もうとか、もっと勉強をしようとか
別の楽しみが出てくる。
学生:宗教指導者として、尊敬されるプレッシャーや常に正しい答えを出さなければならない
プレッシャーはありませんか?
老師:私は今の立場に別段なろうとしてなったわけではありません。プレッシャーというのは
大概、地位や名誉を失わないようにしようとすることから起こるのです。私は今の立場を
修行の上での一つの役割と考えていますから、あまりそういったプレッシャーはありません。
学生:最後に怒ったのはいつでしたか?
老師:さて、いつでしたか?感情を荒立てるということは無駄なエネルギーを費やすことだと
最近思っています。
次に続く・・・