対機説法その1
スイレン 於 僧堂
先日の6月13,14日と居士林にてイエール大学の泊まりの坐禅会が行われました。
国際色豊かな15名の学生が参加をされました。14日には横田南嶺老師との質疑応答の
時間があり学生さんから様々な質問がなされ、老師はそれに対して一つ一つ丁寧にお答えに
なっていきました。そのいくつかをまとめてみました。
学生:禅のゴールとは何ですか?
老師:ゴールはそこにいるあなたです。いろいろやって骨折り苦労をしてやっと気づく。
学生:大自然と禅の関係は?
老師:禅は自然(そのもの)であり、自然は禅です。何か特別な能力を身につけることではなく
今の自分を一生懸命生きるより道はない。
学生:老師にとって坐禅をすることとは?
老師:くらしの一部です。朝起きて顔を洗う、ご飯を食べるようなものです。
だから、忘れることがない。
学生:悟ったかどうかはどうわかるのか?
老師:自分が一番よくわかる。たとえば、風邪をひいたかどうか当の本人が
一番わかるように。
学生:次の老師はどうやって決められるのか?
老師:到達した人が次の人が老師にふさわしいかどうかを認める。
学生:食事の作法ではなるべく音を立てないとのことでしたがなぜですか?
老師:一つは本人の瞑想の為。二つめは、自分たちだけが食べていると
餓鬼のように食べることができないものたちに苦しい思いをさせるので、
それを思いやって静かにいただく。自分たちだけが生きているのではない。
目に見えないものも生きているという考えです。
学生:無となんですか?
老師:辞書を調べると、「無」には実は自然・草が生い茂るという意味もある。
花が咲き鳥がさえずるなど天地自然の様子のことです。禅の問題で
無を持ってこい!と言ったら、今日のような暑い日でしたら、
冷たい飲み物を持っていくのが一つの答えです。
学生:父母未生以前本来の面目とは?
老師:これはいのちの問題です。いのちはあなたの両親が作ったものではない。
あなたの両親もその親から受け継ぎ、その親もまたその前の親から受け継いでいる。
それがずっと続いている。それは姿・形はないけれどちゃんとあなた自身に
そのいのちは生きている。
続く・・・