時代を切り開く刀
シラン 居士林
横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
臨済禅師の伝法の偈が伝わっています。
「流れに沿いて止まざるに如何と問う
真照無辺と他に説似す
相を離れ名を離ること人稟(う)けず
吹毛用い了って急に須く磨すべし」
逝いて止まることのない時代の流れに流されながら、「どうしたらよいだろうか?
どうしたらよいだろうか?」と昔も今も変わることなく人は問いかけている。
真実の智慧の光は、どこにいても、いつの時代であっても照らすことができる。
その変わることのない真実の智慧を人々に示してあげたい。
真仏無相、本当のこころ、こころの本心・本性というのはなんら特定の姿、形を
離れていて、罪やけがれも離れている。しかし、人はその教えを受け止めてくれない。
各々、自分自身の雑念・妄想を斬ることに使った斬れ味の鋭い吹毛の剣(智慧の刀)を
用い了ったからとそのままにせずに、油断することなく、常に磨いておけよ。
いつの時代にあっても、人々の悩み・苦しみは尽きることがない。その時代、その時代に
おいて「どうしたらよいのであろうか?」と問いかけることがなくなることはない。
しかしお釈迦様や臨済禅師がお示しくださった真実の智慧というものはいつの時代で
あっても、変わることはありません。私たちは、悩み苦しむ人々の為に、本来持って生まれた
智慧の刀が使えるように常に磨いておかねばならない。それが臨済禅師が後人の為に残して
くださった教えであります。