己なき安らぎ
円覚寺僧堂(専門修行道場)では、5月20日から月並大攝心が始まり、今日で3日目と
なりました。
露草 黄梅院
横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
坐禅をしていると、「足が痛い、眠たい、嫌だ」のような様々な思いも湧いてきます。
それらの思いが湧いてきたら下腹部・丹田に力を入れて強い呼吸をすることで一つ一つを
斬り尽くしていきます。
龐居士 (ほうこじ)の言葉に「護生(ごしょう)は須く是れ殺すべし、殺し尽して始めて安居」
とあります。護生というのはいのちを守ること、もっといえばいのちを全うすることです。
仏弟子として、修行僧として、あるいは一個の人間としてこのいのちを全うしようと思えば
まず、殺さねばならない。
殺すというとなにやら物騒なものの言い方ですが、何を殺すのかいうと自分のわがまま、
自我意識、自分さえ良ければいいという思いを殺すのです。
お釈迦様は「己なきものにこそ安らぎあり」「法とは己なきの尊さなり」と仰せになっています。
私心なきところ、わがままのないところにこころの安らぎ、尊さがあるのです。
私心なき生き方こそ、大自然からいただいたこのいのちを本当に全うする生き方なのです。
禅を学んで、己なき安らかさ、尊さに目覚めて、いただいたいのちを全うする生き方を
したいものです。