大自然と私の心は一つ
黄梅院のおがたまが咲き始めました。辺りにはあの何とも言えぬ優雅な香りが
漂っています。
入制大攝心 中日
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
私たち禅の修行は何か特別、難しいことをやるように思われているかもしれないが
本当は、造化、つまり大自然の働きと一つになっていくことです。
菜根譚に「雪夜月天に当たっては 心境便ち爾く澄徹す 春風和気に遭えば
意界も亦た自ら冲融す 造化人心混合間無し」という言葉があります。
人間はあの清らかな雪を見たり、夜空に冴え冴えと輝くお月様を見ると
こちらの心も澄み渡ってくる気がする。あるいは、今日のような穏やかな
春の景色に遭えば心も自ずからのどかに、やわらかに穏やかになる。
造化、大自然の働きと人の心も混合して一つに混ざり合い隔てがないという
意味です。
「立腰」の森信三先生も「樹々の芽吹きと宇宙の理法」という言葉の中で
「近頃私は樹々の芽吹きを見るのを楽しむようになった。・・・今さらながら
深い驚きと喜びを感じる。これを感じる私の心と、それらの樹々とは、一見何等
関わるところは無さそうだが、しかし私はそれ等の樹々を見ることによって、
そこに宇宙の理法を窺う心地がする。」と仰せになっています。
円覚寺開山・無学祖元禅師も語録の中で「お釈迦様も弥勒菩薩も文殊菩薩も
普賢菩薩も、大海も川の流れも、虫けらも草も木もみないっしょに坐禅をしてる」と
お説きになっている。
造化と人心、大宇宙大自然の働きと私の心とは一つのものであります。
みんないっしょにこうして呼吸をしてまさに大宇宙・大和楽の世界の中で
坐禅をしているのです。
(後記)
新「居士林だより」は出来たばかりなので、まだ、若干、不具合が生じています。
皆様のお気づきのことで「ここをこうして欲しい」というご要望がございましたら、
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