蓋を除く
大手毬(おおでまり) 於 黄梅院
入制大攝心 6日目
横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
坐禅の修行というのは古来、五蓋(ごがい)を除けと申します。
本来の心、持って生まれてきた仏心を蓋(ふた)のように覆いかくして、
くらましているものが5つある。それが五蓋です。
五蓋の一つめは、むさぼり、どん欲です。おいしいものを食べたい、少しでも眠りたい
あるいは、異性のことを思うことなどです。
二つめは、いかり、腹立ち、憎しみ
三つめは、昏沈です。気力が衰えぼやっとしてくる。心が暗く沈んでくる。
四つめは掉挙(じょうこ)。心がざわざわして落ち着かない。
五つめは疑い、猜疑心。こんなことをしていったい何になるのかと疑いことです。
これら5つのものが蓋のように覆い被さって私たちの本来の心の光をくらまして
しまっている。私たちは、それを取り除かなければなりません。
その取り除く道具となるのが、腰を立てておなかに力を入れる呼吸です。
この呼吸を手がかりに5つの蓋を取り除いて、私たちが本来持っている心のの光を
発するのです。
(後記) 蓋にちなんで、浄土宗・山本空外先生の言葉を紹介します。
「蓋をとると、大自然のいのちの根源に感応してくる。
蓋をとることと、感応してくることが、自分の中で一緒に起こってくる。
そういう喜びをさとらなければ、生きていてもつまらない。
本当に何にもならない。
人間はお金を貯める道具ではない、家を建てるために生きているのではない。
とにかくただ大自然のいのちを自分なりに全うしていく。それがナムアミダブツで
出来る。この感応、このいのちの根源との感応、いのちの根源に迫る感応を喜ぶのは
いのちの交響曲ともいえる無上のものです。」
『いのちの讃歌』より