戒と本心・本性
1月22日(水) 制末大攝心 3日目
横田南嶺管長が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
達磨大師は「仏を見たいと思えば、自分の本心・本性を見よ。
自分の本心・本性こそが仏である」と仰せになっています。
仏教には、不殺生戒、不偸盗戒などたくさんの戒があります。
しかし、仏様そのものはこの戒を守ろうという気持ちもなければ
戒を他人に課そうという思いもありません。
本心・本性そのものは、戒だなんだと意識をしているわけでは
ありませんが、それでいて戒を破ることは決してない。
それは、私たちの本心・本性が慈悲の心に他ならないからです。理想を言えば、
この本心・本性さえはっきりしていれば、一々、あれをしてはいけない
これをしてはいけないといったような細かい規則を学ばなくとも、また
常に戒を意識していなくても自然と戒律を保つ、守ることができる
のです。
自分の本心・本性の尊さに気づけば、そこは生まれたの、死んだのという
ことがない仏心、生き通しのいのちであります。それが本当の不殺生戒で
あります。
お釈迦様はお亡くなりになるときに、自分の死後は戒をたよりとしなさいと
言われました。戒を守れば安らかに暮らしていくことができると。
仏法を伝えていくということは何であるか?それは具体的には戒を
伝えていくことです。仏法を修行するということは戒を守って伝えていくこと。
戒とは心の良き習慣、生き方です。
何事もお互いいくつしみの心をもって相手に接することで戒を具体的に表していく。
そして、合わせて、私たちは今の時代に合った戒を伝えていく努力も怠ってはいけません。