臘八5日目
12月5日(木) 臘八大攝心 5日目
<円覚寺山内・居士林 山門>
横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
坂村真民さんに「鈍刀を磨く」という次のような詩があります。
{鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人は変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ}
いい加減に磨いている人は、いくらやったって何にもなりません。
坐禅の修行で一番慎むべきこと、おそるべきことは、何と言っても
惰性で修行をすることです。
惰性でやっていたのでは、いくらやっても何にもなりません。
必死になって修行に打ち込むのです。全身から玉の汗が出るくらい
一生懸命にやる。
そうすれば、刀は錆びついてどうしようないかもしれないが磨いている
本人が光ってくる。一生懸命に修行に打ち込んでいる本人が光ってくるのです。