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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.10.24

坐禅=大慈悲

10月24日(木) 入制大攝心 5日目
 横田南嶺管長が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 江戸時代後期の禪僧で白隠禅師の師匠でもある道教慧端禅師(通称 正受老人)は
山にこもること45年という専ら坐禅三昧の日々を送られました。それを(街に出て
人々のために教えを広めるのではなく)自分の為だけに修行をしていると言う人も
ありますが、正受老人は決してそうではありませんでした。
 ある時、正受老人が住んでいる村にオオカミの大群が毎日のように現れ、村人を
苦しめました。そのような時に正受老人は、オオカミが出没する場所に1週間、坐禅を
し続けたと言われます。そうすると自然とオオカミは村に現れなくなりました。
 正受老人はその行為を「正念工夫を試みる為に行った(オオカミの中でも修行で培った平常心を
保つことを試す為)」と言われたそうです。しかし、正受老人の本当の思いは、村の人々がオオカミに
襲われて困っている状況を何とか救いたいと思いそのように行動したのだと思います。
 『坐禅儀』に「坐禅をするには、まず、大慈悲心を起こして人々の苦しみを救おうという
心を起こしなさい」とあります。また、『論語』には「身を殺して仁を成す」という
言葉があります。
 正受老人が実践したオオカミの群れの中での坐禅というのは、まさに自分がオオカミに
かみ殺されても、村の人々の為に何とかしたいという大慈悲心の発露であると思われます。
 坐禅というのと大慈悲というのは別もののように思われがちですが、この正受老人の坐禅と
なるとまさに大慈悲の坐禅といくべきものでしょう。
 オオカミの群れの中で坐禅をするほど厳しいものはありません。ほんの一念でも「やだな」
と「恐ろしいな」という念が湧いてきたら命はありません。我が身を守る、我が身をかわいがる
思いをすべて捨て去り断ち切って、村の人々のことを思いやって坐禅を実践されたのが
正受老人だと思うのです。
 坐禅をするということと大慈悲を行うことは決して別ではありません、一つなのです。
自分の中のわがままな思いを捨て去って人の為に慈悲の実践をする、これが私たちの
目指すところの坐禅であります。
(後記)
 正受老人がオオカミの群れの中で坐禅をした話は、以前の居士林だよりで紹介しました。
ご覧になってください。
http://http://kojirindayori.blog108.fc2.com/blog-entry-242.html

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