仏心光明の中
6月25日(火) 半制大攝心・6日目
<僧堂・中庭にて>
管長様が提唱されたことをまとめてみました。
思益梵天経に次のような話があります。ある人が「本来私たち誰もが持っている
心の光明に気がつくためにはどのような修行をしたらいいですか?」と尋ねました。
文殊菩薩は「あらゆる行の中で我見を清浄にすることが大事である」と
答えました。我(われ)なし、無我です。我というものが本来、空(くう)である
と見るのが真実のものの見方です。
無我の法を得たるがまことのものの見方、我が空であると見たものが
真の仏を見たものである。我というものがどこにもないことこそ仏性である
とそのお経には説かれています。
仏性というのは何も仏性というかたまりがあるわけではない。我に対する
執着・とらわれからきれいに離れたところがそのまま仏性であります。
自分に対する執着・とらわれを離れたこころの様子に他なりません。
執着・とらわれを離れたなら、そこは仏心光明の中です。そのことに
気がつき目覚めたならば、今ここにいるところが仏心光明の真っ只中です。
自分の置かれた環境で無心にあい努める、それ以外に仏心に目覚めたものの
姿はありません。今、この目に前で只今なすこと、見ることが尽く真実の姿です。
この我に対する執着・とらわれから離れる修行です。