塵芥の堆(つみ)の中にも
6月24日(月) 半制大攝心・5日目
管長様が提唱されたことをまとめてみました。
お釈迦様の根本の教えに
「都大路にすてられし 塵芥(ちりあくた)の堆(つみ)の中にも
げに香りたかく こころたのしき 白蓮は生ぜん」というものがあります。
街で捨てられたゴミだめの中にもきれいな蓮の花が咲く。塵芥の中に
香り高い蓮が咲くとあります。蓮の花を咲かせようと思ったら泥の中に
埋めなければなりません。修行もそうであります。
泥の中に埋められて「あいたまらん」と逃げ出してしまえば蓮の花は
咲くことはありません。それまでのことです。その泥こそが蓮の花にとって
の最大の肥料であります。
それと同じように、私たちの経験する思うにまかせない逆境や辛い苦しい
体験が修行にとっては糧(かて)となり肥料となる。
お釈迦様の教えを「妙法蓮華経」と言います。泥の中に根を張って
太いレンコンをこさえて、蓮華の花が咲く。清浄できれいな無菌のような中で
花を咲かせるのでは決してありません。
維摩居士に「衆生病むがゆえに我もまた病む」という言葉があります。
世間の人々が苦しんでいる、辛い中にいる。おろかさや愛欲にまみれている。
それゆえに「我も病む」です。その中に自分も入っていって修行をしていく
ということです。
自分だけが清らかで、自分だけが正しいと言って、苦しみ悩む世間を離れてしまう
のではなく、むしろその中で「げに香りたかく こころたのしき 白蓮の花を咲かせる」
というのが私たちの本当の修行であります。
(後記)
かなちゃん、最近の定位置は方丈の縁側です。かなちゃんにとって
この場所が夏の避暑地のようなもののようです。人目につく場所なので、
時には人だかりができるほどのすっかり人気者に。この寝姿を見たら、
触りたいと思ってしまいますが、でも、皆さん、かなちゃんはもう
おばあちゃんです。時には、遠くから眺めるだけで、ゆっくり寝かせて
あげてくださいね。