人間の心というものは・・・
5月24日(金) 月並大接心・5日目
ヤマボウシ <黄梅院>
管長様が今日の僧堂接心で提唱されたことをまとめてみました。
人間の心というものは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、
声聞、縁覚、菩薩、仏の全部それになる可能性を持っているます。
昨日、古い山田無文老師の本を調べていましたら、こんな和歌が載っていました。
やがてして 月の世界に 遊ぶ日も
ありなむ 人よ あらそうなかれ
昭和四十年頃の歌です。昭和四十四年アポロ11号が月に着陸しました。
もうやがて、月の世界にもたどり着くであろう。お互い人間、あらそう
ことはないようにという意味ですが、確かに、今や飛行機で空を飛ぶのは
当たり前テレビやラジオどころか、インターネットで世界のこともわかる、
当時の無文老師も思いもよらぬほど、世界は発展しました。
しかし、人の心はどうでしょうか。近隣諸国との領土の問題など、
ここはオレの領土と言い争ってあまり、原始時代とは構造はかわりません。
世界を見渡しても、悲しいかな、争いはなくなる気配もありません。
時には菩薩のように尊いこころになったかと思えば
また修羅のごとくに、いがみ合ったりしてしまいます。
今日のように科学技術がいくら発達・発展をしても不安というものは
なくなりませんし、争いも絶えません。こんな狭い僧堂でもささいな
争いごとは絶えません。
しかし、私たちはお釈迦様の弟子として仏道の修行をしている者です。
めいめいの仏心に目覚めるというその為に修行をしている。戒律はたくさん
ありますが仏心を傷つけない、仏心をくらまさないというそのことさえ心に
おけば、戒律は自然と守ることができる。
仏道の修行は各々持って生まれてきた諸仏と同一体の仏心の尊さに目覚めて
それを傷つけ、くらませるような行いは決してしないことです。仏心を活かし
目覚めて努力をしていく。
たくさん公案(禅の問題)があるのも、様々な戒律や経典があるのも
みなこの仏心に目覚めさせりためのもの。仏心一つに目覚めていく。
その根本に立ち返っていかなくてはならないのであります。
ヤマボウシは遠くから眺めると雪が積もった様です。