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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.05.21

青空にわく雲ようなもの

5月21日(火) 月並大攝心・2日目
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ハクロウヤナギ <黄梅院>
 管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 心がすべてを作り出す。この私たちの一念・思いが起こって様々な世界を
作り出すのです。
 昨日スポーツ選手のことをお話ししましたが、その方にまた、次のような
ことも申し上げました。無心になるのはなかなか難しい。それよりも雑念が
わいたときにその雑念の起こる様子をよく観察してみてはどうかと。
 どういうときに雑念が起こるのかその様子をよく観察し自覚することが
大事です。人間生きている間、念がなくなることはない、わいてくるものです。
だから、退屈もせずにこうして生きている。
 念のわいてくる様子に気づく、念の起こる源は何であるか?それは
よそから起こるのではない。ちょうど晴れ渡った青空に雲が起こるようなもの。
青空は私たちの本心・本性・仏心です。
 仏心の中で、ちょうど青空に雲がわくように、一念・思いが生じる。
その一念が向かうものごとに対してむさぼり・いかりなどになって様々な
世界を作り出す。
 しかし、いくら雲に覆われたからといって空がなくなるわけことはない。
私たちは、そのうちに必ず晴れるということを知っている。私たちの念も
雲を見ているのと同じです。雲が浮かんでは消えていく景色のようなものです。
そこに実体はありません。
 念が起こる源をたどっていけば、そこは生ずることもなく、滅することもない
仏心一枚の世界です。どんなに念が起こったとしても、朝比奈宗源老師の言葉を
借りるならば、仏心には罪やけがれはとどかない、仏心は常にきよらかで安らかで
私たちはその中に生まれ息をひきとる。どんな姿をしていても仏心であった。の
世界です。
 そう徹することが私たちの修行の根本であります。
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舞子アジサイ
 
 

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