無心を求めて
5月20日(月) 月並大接心・初日
管長様が今日の僧堂接心で提唱されたことをまとめてみました。
昨日、大きな大会でも実績をあげられた、現役のスポーツ選手にお会いする機会
がありました。話を聞いてみるとその方は坐禅がしたいのだという。
何で坐禅なんですか?と尋ねると無心を求めたいとお答えになりました。
その競技というのは、特におなかにグッと力を入れることが大事で、
丹田に力が入っていないと話にならない。そしておなかに力を入れていても
ほんのわずかでも呼吸が乱れ雑念が湧いてくるとうまくいかない。
それで本当に無心になる工夫をする為に坐禅をしたいのだとおっしゃいました。
このような方の工夫はごまかしがきかない。ほんのわずかでも雑念が混じって
しまったら、すぐに結果に出てしまいます。
こういう一般の人が無心を求めて坐りに来るのです。本当に無心になるというのは
どういうものか?という疑問を持ち坐禅を求めてくる中で、我々、坐禅を専門として
修行しているものが、座布団の上で雑念・妄想、はたまた眠りこけていたのでは
大いに反省をしなければならないのではないでしょうか。
私はその方に申し上げたんです。本当に無心になることは誠に難しい。
私も何十年坐禅をしていますが、はたして本当に無心になったのかわかりません。
だから、今なお無心を求めて日々修練をしています。と。
我々は、無心に向かって自分の身を削ることを惜しんではいけません。
ガクアジサイの変種、甘茶です。<黄梅院>