念が起ったらそれに気づけ
4月25日(木) 入制大攝心・6日目
管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
「念起則覚(ねんきそっかく)」という言葉があります。心に念(思い)が
起こったらすぐに気づけということです。法灯国師は我々の心に念が起こる様子を
ちょうど、晴れ渡った大空に雲がわくようなものと喩えられました。
空に雲が湧くようなもので、我々のこの念に何も根本・実体があるわけではない。
私たちの心の本体はあの晴れ渡って澄み切ってひろびろとした大空のようなもので
そこに雲が湧くように念が起こる。ですから、ほっとけば、たいしたことはない。
しかし、なかなかそうはいかないもので、人間の念・思いが積もり積もって
人を苦しめ自分自身も苦しめてしまう。憎しみ、怒り、嫉妬などの念によって
人生も台無しにしかねない。みな念が迷いを引き起こしているのです。
その念・思いがどこから湧いてくるのか?何て言うことはない、それは
晴れた空に雲がポンと浮かんだようなもの、ちょうど我々が睡眠中に夢を
見ているようなものです。
目が覚めて「ああ!夢をみていたんだ」と気がついたときには夢は終わるように
「ああ!念が起こっていたんだ」と気がついたときには念は消えるのです。自分は
雑念・妄想を起こしていたんだと気がつけば、その念は自然におさまるのです。
その繰り返しです。
念をついでいかない。念が起きてもそれに気がつけばそれで終わる。
念がなくなることはありません。しかし、それをつがない、断ち切ることが
大切です。その断ち切る方法が数息観(自分の呼吸を一つ二つ・・・と数える)です。
数息観をしていれば念の起こる様子がよく分かる。数を数えることを見失ったとき
というのは、他の念が起こったときです。人間の心は同時に2つの念・思いは湧かない。
数をわすれたということは、その瞬間に心に別のことが湧いている。
たとえ意識がそれてしまったとしても、数を忘れた自分に気がついて、もう一度
数息観にとって返す。そうすれば、別の念は消えているはずです。
それを繰り返し繰り返しやっておれば念が起こってきてもそのたびごとに
速やかに断ち切ることができる。念に振り回されることがなくなる。そうなると
自分の心は晴れ渡った大空ようなものであったと体感することができるのです。