穏やかに和やかに
4月22日(月) 入制大攝心・3日目
管長様が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
心の本性とは何であるか?仏と言うも如来と言うもあるいは観音様と
言うも、いろんな名をかえていうのも、みんな私たちの心のことを言っています。
心の本性とは、無一物であり空(くう)であります。つまり、それは自我のないこと
を言います。これが自分だと思いこんでいるものはどこをさがしても見当たらないという
ことです。
ということは、みんないのちあるものは平等に一枚のいのちであるということです。
それに気がついて本心・本性を見るとこころのはたらきは自ずと和やかであり素直であり
慈悲のはたらきになる。
自分だと思いこんでいたものはどこをさがしても見当たらない。逆に私たちの
本心・本性は穏やかな和やかな親切な慈悲のはたらきであった!こう気づくことが
私たちの修行の目指すところであります。
真のお坊さんとは何でありましょうか?その人がどこまで修行をしたかという
ことは、やはり、その和尚さんがどこまでどんな人に対しても物腰が柔らかで
慈悲に満ちあふれているかであります。
正直、修行をすればするほどこうなるのであります。これが坊さんとしての
値打ちです。そういう親切なお坊さんになってもらいたい。
自分中心の考えはどこをさがしても見当たらない。どこまでも物腰柔らかに親切に
親身に、慈悲に満ちあふれている和尚さんになるのだと、そういうつもりで修行に
臨んでもらいたい。そういうお坊さんになる為の、己の自我を滅する、己の自我を
すり減らす修行です。