無心のはたらき
11月23日(金) 月並大攝心 中日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
三島・龍澤寺の中川宋淵老師がこういう句を残して
くださっています。
秋ふかく 石がささやく 石の声
我々は、坐禅をして無心になるというけれど、何も周りのことが
わからなくなる、聞こえなくなるようなことでは決してありません。
むしろ、「石がささやく 石の声」も聞こえてくようにならないと
いけません。
庭に咲いている一輪の花が語りかけてくる、それに耳を傾ける
ことができる、これが無心の消息でありましょう。
「語らざるは愁(うれい)無きに似たり」という言葉があります。
お寺には、いろいろな人が来ますが、黙っていて何もしゃべらない方も
います。けれども、そういう方の心の内にある愁や悲しみを察して
あげる、細やかな心配りこそ本当の無心のはたらきであります。
何にもわからない、気づかない、人が苦労をしていても平気な気持ち
でいるのが無心なのではありません。
(正しく)坐禅をすればするほど、細やかな心配りができるように
なります。五感、感覚が鋭敏になってくるのが本当であります。
無心の修行とは、そういう微妙な細かい心配りができるようになる
ことであります。
こちらの石、開板という木の板を打つ時に足下に
位置して、足を踏ん張る「踏み石」として人様の
お役に立っています。
<居士林>