何もかもなげうって
11月24日(土) 月並大攝心 5日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
アントニー・デ・メロというインド出身の神父さんに
「何もかもなげうって 死さえもいとわない価値ある宝が
見つかったときこそ 人は本当の意味で生きる」という
言葉があります。
論語の中には「朝に道を聞けば 夕べに死すとも可なり」と
ありますが、朝、本当の道を聞くことができたら、その晩に
死んでも悔いはないということです。
孔子という人も自分の命をかけてその道を求めていたという
ことがこの言葉からうかがうことができます。
お互い、自分のこの人生、何にかけるのか?どれだけ自分の
すべてをそこに打ち込むか?であります。それが人生の深さと
なります。
命がけという言葉は容易に使うべきではないけれど、はやり
この道に命をかけるとうぐらいの気持ちを持ってもらいたい。
能力のあるなしというのは、問題ではありません。大切なことは
やらなければならないことを自分が死んでもいい、命をかけるという
志であります。この志こそ大きなものを動かしていく力であります。
自分に何ができるか?何か力になってあげることはないか?という
願いを持って周りの人に尽くしていく為には、それはあたかも
自分の命をなげうつって戦いにでるのと同じ強い気持ちを
持たなければなりません。
僧堂山門前から大方丈を望む
僧堂山門から