牛を飼い慣らすように
10月22日(月) 入制大攝心3日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
坐禅を10年やっても20年やっても、おそらく生きている間、
人間は外の世界にひかれてしまい、この迷いが尽きることは
ありません。
只、迷ってしまったとしても、もう一度腰骨を立てて、お腹に
力をこめて、自分の呼吸に立ち返ることによって、本来の自己に
立ち返ればいいのであります。
お釈迦様は「牛をよく飼い慣らしていくように自分の心を
調えなさい。」と仰せになっています。牛が寄り道してよその
草を食べようとしたら、そのたびごとに、手綱をぎゅっと引っ張って
戻すように、坐禅も心がよそにとんでしまったら、そのたびごとに
自分の呼吸に意識を戻らせることです。その繰り返しです。
このように本来の自分に立ち返る訓練をして常に冷静な判断が
できる状態にいれば、迷いはなくなることはないけれども、
可能な限り、速やかに本来の自分に立ち返ることができます。
その力を身につけてもらうのがこの攝心であります。
牧牛(牛を飼い慣らすこと)と攝心(心をおさめること)は実は
同じ意味なのです。牛はただ野放しにしておれば、わざわいを
おこすかもしれませんが、これをよく飼い慣らせば貴重な労働力
となります。活かしてはたらかせることができます。
私達の心も野放図にして、欲求に引きずり回されればわざわいと
なりまねません。そうならないように、心を攝(おさ)める手法や
方法をしっかりと身につけて、本来自分が持っている力を発揮できる
ようになることが私達の修行であります。
十牛図 「尋牛」 本来の自己さがしの始まりです。
円覚寺派・北天院の先住・櫻井一溪和尚様がお描きになった
十牛図です。