明日を信じて
9月5日(水)
去年の今頃、管長様の故郷、紀伊半島が台風12号の豪雨により
たいへんな被害を受けました。あれから1年が経ち、昨日、
管長様は、地元での慰霊祭に招かれて出席されました。
「紀伊半島大水害」から1年、復興へ向けての願いを書いた
管長様の文章がを地元新宮市の広報に掲載されましたので
全文を紹介します。
{紀伊半島を襲った豪雨による大水害から、はや1年が経とうと
しています。お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。
まだ、目を閉じれば大災害の様子が、ありありと思い浮かべられる
ことでしょう。
私も18歳まで熊野川のほとり、船町で生まれ育ちました。川の増水の
様子は幼いころからよく見てきました。しかし、あの高い堤防を越えて
川が氾濫したなど、とても想像だにできません。送っていただいた写真を
見ては、涙を禁じ得ませんでした。まだ、鉄道も通わぬ時でしたが、昨年
9月の下旬にどうにか、生家と菩提寺の清閑院様や那智山とをお見舞いに
参りました。熊野川の奥まで行くことはできませんでしたが、那智川の
惨状には目を覆いました。東日本大震災のお見舞いで、大津波の跡にも
参りましたが、ほぼ同じ光景が目の前を広がっていました。まさに息を
飲む思いでした。以来1年、鉄道も復旧し、少しずつ復興はしているかとは
思いますが、まだまだかかるものでしょう。
また、お身内を亡くされた方、長年住み慣れた家を流された方々など
その心に負われた傷もまだ深い事と拝察します。熊野の大自然がこんなにも
猛威を振るうとは誰も想像しなかったことでしょう。
今春、宮城県気仙沼に被災見舞いに参りました。大津波で町は壊滅的な
被害を受け、大勢の方がいのちを落とされました。震災から10日後に、
気仙沼の中学校で卒業式が行われました。生徒の遺影を親が抱いて出る姿も
見られたそうです。その時に卒業生を代表して答辞を読んだ生徒が、涙ながらに
「いのちの重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし苦境にあっても
天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことが、これからの私達の
使命です」と言われました。
「天を恨まず」という言葉が、皆の胸を打ちました。どんなにか、天を恨み
運命を呪いたかったことでしょう。それでも、天を恨まず、海を恨まず、
助け合って生きていくと誓われたこころは素晴らしいものです。
熊野は自然の中で、山と川と共に暮らしているところです。必ずやその自然の
中で、山と川と共に復興してゆくことを信じて疑いません。
仏教詩人の坂村真民先生は、タンポポの花を愛し、自宅をタンポポ堂と
名付けていました。「タンポポ魂」という詩があります。
「踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない
その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く その明るさ
わたしはそれを わたしの魂とする」
これから歩んでいく先は決して闇ではなく、明るい光が射してくる
ことを信じて、今日1日、今のひとときを大切に、お互い助け合って
参りましょう。}