幸せそうな
9月3日(月)
かなちゃん、ぐっすり。
縁側の上。
気持ちよさそう。
(後記)
先日、管長様が円覚寺境内を歩いていたら、見ず知らずの外国人
の2人の青年に「正伝庵は、どこですか?」と話しかけられたそうです。
(正伝庵とは円覚寺内にある塔頭の一つで現在は管長様が兼務住職をされて
いるお寺です。)
その青年の1人は、鈴木大拙居士を大学で研究しているとのことで
大拙居士がその昔、正伝庵に住んでいたのでそう尋ねてきたそうです。
管長様は彼らを正伝庵に招待して、お茶を差し上げながら話をし、国宝の
舎利殿なども案内してあげたとのこと。
大拙居士の研究をしているだけあって、さまざまな質問を管長様は
彼らから受けたそうです。
例えば「僧侶として坐禅の修行をするのと居士として(在家で)
するのとではどう違いますか?」
管長様云く「悟りの体験に於いては、僧侶も居士も何の違いも
ありませんが、それを<伝える>ことに関しては
専門の僧侶の方が大きな影響力を持っているのではないか」
また問うて「大拙居士は、慈悲を強調されましたが、では、その慈悲と
何でありますか?」
管長様云く「こうして、見ず知らずの方でも、お茶を差し上げて、話をし
あたたかく迎えてあげること、これが慈悲ではないでしょうか。」
まさか、その青年達は、たまたま話しかけた人が管長様だとは
思いもしなかったのでさぞ、驚いたことでしょう。何か、大拙居士が
管長様とその青年達をわざわざ巡り合わせてくれたと思える不思議な
出来事ですね。