明るい心
7月10日(火)制末大攝心6日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
明治時代、円覚寺管長の今北洪川老師が次のようなことを
仰せになっています。人間として生まれたものはみな明かな心
を備えている。
明かな心とは、平たく言えば明るい心と言ってもけっこうで
あります。人間はみな明るい心を持って生まれてきている。
その明るい心を儒教では「天」と言い、「道」と言い、神道では
「随神(かんながら)」とか「神様」と呼んでいます。仏教では
本来持って生まれたこの明るい心を「仏心」「仏性」と言っています。
洪川老師は、この仏心・仏性というのはお互いのこの体に
頭のてっぺんから爪の先まで満ちあふれていると言われて
います。仏心がこの体の内に満ちあふれているであります。
しかし、仏心はそこにとどまるようなせまいものではありません。
仏心はさらにこの天地の間に一杯に満ちあふれています。
その証拠に春になれば梅が咲き、ウグイスが鳴き、
夏になれば卯の花が咲き、秋になれば月が冴えて、虫の声が
響き、冬になれば水仙やサザンカが咲きます。
一年三百六十五日、二六時中、片時も休むことなくはたらいて
いるのがこの仏心・仏性であります。「至誠息(や)むことなし」とは
このことを言います。
お互いの仏心・仏性はこの天地に満ちあふれているはたらきと
同じ、一枚であります。