置かれた場所で咲きなさい
7月8日(日)制末大攝心・中日
管長様が日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
最近、話題の本に「置かれた場所で咲きなさい」とう題のもの
があります。これはキリスト教の方が、わずか36歳で大学の学長
になり、若くして重責を背負われた体験をお書きになったものです。
「置かれた場所で咲きなさい」その置かれた場所が自分にとって
つらい場所、また、理不尽をうけることもあるかもしれません。
こちらはそんなつもりではないのに憎しみ・怒りの的となり
仇・かたきのように思われるかもしれません。そして、一番
信頼している人に裏切られることもあるかもしれない。
そんな時、そんな場所の置いても花を咲く、花を咲かせる
心を持ちなさい。そんなことがこの本には書いてあります。
また、その本の中にはキリスト教の詩人八木重吉さんの
次のような詩が引用されています。
「神のごとくゆるしたい
ひとの投ぐ(げ)るにくしみをむねにあたためて
花のようになったらば神のまえへささげたい」
つらいこと、いやなこと、苦しいことを自分の
胸に秘めて、それらを花束にして神に捧げたい。
あたえられた物事の一つ一つを有り難いと両手で
受け止めてそれを花束にかえて笑顔で神様に捧げたい
と本の作者の渡辺先生は書かれています。
こうなりますとキリスト教も私達の仏教も一つであります。
お経にも「どんなにののしられても、どんな仕打ちを受けようとも
相手の心にも仏様の心があると信じて拝む心を持つ。
そうすれば、私達の心に花が咲く。そうなればどこにいても
いる場所が浄きところ、お浄土であると説かれています。
なるほど、ここまでくると教えは一つであると実感される
のであります。
<勅使門>