四弘誓願文の実践
6月21日(木)半制大攝心2日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
仏道というのは、毎日我々が読んでいるあの「四弘誓願文」の
実践に他なりません。これが修行の根本です。修行道場にいる間
だけなのでは決してありません。
「衆生無辺誓願度」生きとし生けるもの、命あるものの悩み・苦しみは
限りがない。その限りない悩み・苦しみを自分は、誓って救っていきたいと
願う。これが仏道であれば、これでいいということはありまえせん。
人々の悩み・苦しみが尽きることのない限り、私達の修行も尽き果てる
こともありません。ですから、大勢の人の悩み・苦しみに真摯に
耳を傾け、謙虚な気持ちをまず持たねばなりません。
「煩悩無尽誓願断」あらゆる悩み・苦しみの根本は煩悩であります。
その煩悩のおおもとは{自分さえよければいい}という思いです。
お互いが自分さえよければいい、楽な暮らしができればいいと
安易なことに手を出したとしたら、そこで反省をすべきであります。
「法門無量誓願学」問題があるときに、どういう原因でそうなるのか?
やはり学ばなければならない。いろんな立場があって結構なんです。
「仏道無上誓願成」生きとし生けるものがみんな楽しく安らかに
それぞれがそれぞれ、生き甲斐をもって命を活かせていけるような
世の中の実現を目指します。
この4つの願いが仏道のすべてであります。この仏道の為に
自分の身を捧げて修行をするのであります。
単蒲団(坐禅用の蒲団)の上で、眠たいから眠ってしまう、嫌だから
余計な雑念・妄想の中に逃げ込んでいてどうして仏道の実践が
できますか?
単布団の上、身を捨てて無字三昧にならずして、己を捨てて
人の為に尽くしていく四弘誓願文の実践がどうしてできますか?
根本は一つであります。蒸し暑かろうが、足が痛かろうが、
辛かろうが己を捨てて成り切ってくださいますように。