お化け屋敷のたとえ
5月23日(水)月並攝心中日
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
悟りとは何か?と訊かれて、只一つ言えることは、悟りとは
気がつくこと、自分が迷っていたんだと気がつくことであります。
「何と自分は迷っていたんだ!」「何と自分は小さなことに
とらわれていたんだ!」と迷いの様子がはっきりわかることです。
迷っていたことに気づいた人が、しいていえば「悟った人」で
あります。どうして迷ってしまうのか?どうして苦しみは
作り出されるのか?これを冷静に観察をする。その結果、
見えてきたものを真理と言っています。
遊園地にお化け屋敷があります。何もわからない状態で
それに入ったら、それは恐ろしい。子供はそれが本物か
どうかわからないから、恐れ苦しみます。
しかし、その仕組みがわかれば、恐れることはない。
どういう道理で、どういうつもりで、こういうものをこしらえて
あるとわかっていれば、お化けを前にしても、「なるほど、
よくこしらえてあるな。」「なるほど、よく工夫してあるな。」と
取り乱すことはありません。
それと同じで、悩み苦しみの様子、仕組みがちゃんとわかって
いることが大切です。たとえば、相手が怒っていても、
「なるほど、こういうわけで怒っているのだな。」とわかっていれば、
こちらが取り乱すこともありません。
仏教の「十二因縁」の教えは、人間の迷いを起こす道理
仕組みをきわめて冷静に観察しています。ものごとは、
原因があって結果が出てきます。時代が様々に変わろうとも
苦しみ・悩みが起こる原理・根本はそれほどかわりません。
どのように迷い、どのように執着していくのかを、きわめて
冷静に観察していくと、行き着くところは「何にもないところに、
かってに思いこんで争っているだけではないか。」と
気づくことであります。