生涯をかけて
5月22日(火)月並攝心3日目
管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
明恵上人は、お釈迦様を求めながら、どうしたらお釈迦様に
少しでも近づくことができるかと生涯をかけて真剣に修行を
されました。
上人はお釈迦を慕い、実際に天竺(インド)に行こうとされましたが
それは実現されませんでした。実際に天竺に行った方が良かったのかと
いいますとそうとばかりは言えません。実際にその天竺に行こうが
行くまいが、常にお釈迦様を恋慕する・恋い慕う、明恵上人の
行(ぎょう)・修行ぶりが実に尊いところであります。
菩提心とは悟りを求める心であります。自分が救われる前に
まず人を救おうという心。明恵上人がどこまでも求めるものは
お釈迦様の悟りの心、つまり慈悲の心に他ならないのであります。
それをどこまでも恋い慕い求めていく。
我々は、悟りと何ですか?とよく訊かれますが、
実際、悟りに到ろうが到るまいが、悟りを求めて日々努力
精進する行そのものが尊いのであります。
ある方は「永遠なるものを求めて永遠に努力をする人を
菩薩という」と仰せになっています。
悟りとは?と訊かれたら、「難しいのでわかりませんが、
しかし、その悟りを求めて日々努力をしています。」と
せめて、そう答えることができるようになりたいものだと
思っております。
僧のあるべき姿は何であるか?どう修行したらお釈迦様に
一歩でも二歩でも近づけることができるか?それを生涯
求め続ける心が尊いのであります。
聖観世音菩薩像