悲しみを抱いて
5月15日(火)
管長様が本日の僧堂・講中齋で提唱されたことを
まとめてみました。
東日本大震災の一周忌の慰霊祭において宮城県を
代表して南三陸町に住む奥さんがお言葉を述べられました。
この方は津波で、お世話をしていたご両親と子供2人を
亡くしてしまいました。ご長男のご遺体は自分の妹を
抱きかかえる姿で見つかったそうです。
3月11日の午前中、ご長男は役場に婚姻届をだして
お昼をお母さんといっしょにしてまさにj幸せの中という
時のすぐあと、大震災が起こりました。
大切な人を一度に亡くした奥さんは、生きる希望を
全くなくしてしまいました。受け入れがたい現実、
やり場のない怒り・悲しみ限りのない絶望。
自分が生き残ったこと、自分が生きている
ことが申し訳ないとう自責の念に苦しみました。
その奥さんが次のようにのべられました。
「愛する人を思う気持ちがある限り私達の悲しみは
消えることはありません。遺族は一生その悲しみを
抱いて生きるしかないのであります。だから、私達は
涙を越えてもっと強くなるしかないのです。」
仏の言葉に「常に悲しみを抱いて」というものが
あります。また、観音さまの心は大慈大悲であります。
大きな悲しみを抱いているからこそ、人の悲しみを
わかること、察すること、声を掛けて、手を差し伸べて
あげることができるのです。
また、奥さんは言いました。「絶望の中で何が頼りに
なるか?それは、亡くなった子供達は、今の私をどう
思っているか?亡くなった両親は今の私をどう思って
いるか?と常に亡くなった人と対話をすることです。
いつまでも、私が悲しみにうちひしがれていたら、
子どもや両親どう思うか?そう考えるとしっかり
しなければという思いになる。
常に亡くなった人と対話して、そして亡き人と
今いっしょに暮らしているのだとそう思うことで
悲しみを乗り越えてきた。」と。
観音さまの心、慈悲の心こそ私達が持って
生まれた本心なのであります。