救っていきたいという心へ
5月16日(水)
昨日の僧堂・講中齋の提唱の中で、
管長様が気仙沼市階上中学校の卒業式答辞に
ついて話されていました。その中学校は3月12日に
卒業式を予定していましたが、あの大地震・津波にあい、
3人の生徒が亡くなり、後日、親が子供の遺影を抱く姿
などある悲しみに包まれた卒業式となりました。
そのような中での卒業生代表の15歳の青年の
卒業式答辞です。彼が涙をこらえながら、
答辞を読む映像がマスコミ等で報道され、大勢の
人の感動を呼び起こしました。以下全文です。
「本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、
わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。
ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。
わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、
通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。
前日の十一日。
一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、
十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、
内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、
わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、
助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、
それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても、何をしていようとも、
この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、
階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、
いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
先生方、
親身の御指導、ありがとうございました。
先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、
今になってよく分かります。
地域の皆さん、
これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、
これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。
必ず、よき社会人になります。
わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。
平成二十三年三月二十二日
第六十四回卒業生代表 」
管長様がこれについて次のようにお話しされました。
{「天を恨まず」という言葉は多くの人が感動しました。
おそらくは、天を恨みたかった、運命を呪いたい、
また、なぜ自分はこんな目に遭うのかとどれだけ
苦しんだことことでしょう。その青年、今、何をしていると
思いますか?
今、石川県輪島市にある日本航空専門学校で
ヘリコプターのパイロットに勉強をしていると新聞記事で
知りました。被災地の現場でヘリコプターが大勢の人を
助ける人を見て自分もそうなりたいと思い勉強をしている
のでしょう。
救われたいという気持ち、救いを求めるという気持ち、
自分が救われると自分も人を救っていきたいという気持ちに
なる。この心は一つであります。
お釈迦様は「人間、本来仏の心を、慈悲の心を持って
生まれたきた」と仰せになりました。彼の生き方を知って、
改めて、なるほどと感銘を受けました。}
<妙香池前・木々の間から朝日の差し込む風景>