仏の子 その2
5月3日(木)
昨日の新聞のコラム欄に、昭和天皇と戦災孤児
との次のような逸話が載っていました。
陛下が昭和24年に佐賀県に行幸された時の
お話です。
{寺では境内に孤児院を造り、戦災孤児40人を
養っていた。陛下は部屋ごとに足を止められ、子供
たちに笑みをたたえながら腰をかがめて会釈し、声を
掛けて回られた。ところが、最後の部屋では身じろぎも
せず、厳しい尊顔になる。一点を凝視し、お尋ねになった。
「お父さん、お母さん?」 少女は2基の位牌を抱きしめて
いた。女の子は陛下のご下問に「はい」と答えた。大きく頷かれた
陛下は「どこで?」と、たたみ掛けられた。
「父は満ソ国境で名誉の戦死をしました。母は引き上げ途中で
病のために亡くなりました。」「お寂しい?」と質された。少女は
語り始めた。
「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は
亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっと
また会うことができるのです。お父さんに、お母さんに会いたいと
思うとき、御仏様の前に座ります。そして、そっとお父さんの、
お母さんの名前を呼びます。するとお父さんも、お母さんも
私の側にやってきて抱いてくれます。だから、寂しいことは
ありません。私は仏の子供です」
陛下は女の子の頭を撫で「仏の子はお幸せね。こらからも
立派に育ってくれよ」と仰せられた。見れば、陛下の涙が畳を
濡らしている。女の子は、小声で「お父さん」と囁いた。
陛下は深く深く頷かれた。}
心の奥底まで響くお話ですね。