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臨済宗大本山 円覚寺

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2012.04.23

一番近くにある大自然

4月23日(月)攝心中日
 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 何が苦しいか、何が辛いか。人間を一番苦しめるのは
(自分で勝手に作る)いらぬ考えであります。己の妄想が
己を苦しめるのです。
 「没可把(もっかぱ)」という言葉があります。何にも
とらえようとしてはいけないということであります。
何かをとらえようとすればするほど、また遠ざかって
しまう。ああでないか、こうでないかと考えれば考えるほど
遠ざかってしまいます。
 それよりも「坐忘(ざぼう」といいまして忘れてしまうのが
いいのであります。それでは何を忘れるのか。我を忘れ、
自分が坐っていることを忘れて大自然と一体となる。
 大自然というと、はなはだつかみ所がないように思いますが
私達の一番近くにある大自然はこの体です。一番身近にある
大自然はこの呼吸であり、これこそ大自然のはたらきであります。
 この呼吸に集中、意識を向ける。とりわけ(下腹部の)丹田・
おなかに意識を集中するのであります。
 (みなさんは坐っていると)妄想が邪魔をすると言いますが、
それはどこから出てきますか?みんな頭から出てくるんです。
おなか・丹田は余計なことは考えないのであります。
 (禪の問題は)足の裏で工夫をしろとよく言われますが
なるほど足の裏は余計なことは考えない。おなか・おへその下
・丹田に意識を集中し、足の裏に意識を持っていけば自ずから
頭の方はからっぽとなる。
 「数息観」といってはじめは、自分の呼吸を一生懸命数える
のだけれども、いきつくところは数を数えることも、はたまた
もう自分が息をしていることすらも忘れてしまって、大自然と
一つになる境地であります。

一番近くにある大自然

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〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

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